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甲子園球児たちが土を持ち帰るのはナゼ?〜甲子園でおなじみの光景にこんな秘密があった! [野球]

戦前では川上哲治氏、戦後では福嶋一雄氏、学校としては首里高

ジタバタ氏 甲子園の高校野球がたけなわだな。
オロオロさん 1回戦、2回戦から熱戦続き。
ジタバタ氏 われわれの大予想はどうなったかな?
オロオロさん それは3回戦の組み合わせが決まったら中間報告することにしましょうよ。
ジタバタ氏 それもそうだな。
オロオロさん で、今日は、テレビ観ていて思ったんだけど、ってゆうか、いつも甲子園の試合観て思うんだけど、負けたチームが土を持ち帰る習慣ね、あれはどうゆう意味があるのかしら?
ジタバタ氏 えっ!俺も観てるけど、そういうもんかなって観ていて、特にその意味は考えなかったなあ。もともとは何か宗教的な意味でもあったのかな?
オロオロさん じゃあ、ネットで調べてみましょうか。
ジタバタ氏 土ねえ?相撲で土がつくって負けることだよね…
オロオロさん まずYahoo知恵袋、ベストアンサーはこれだって。「福嶋一雄さんが1949年の夏の高校野球の準々決勝で敗れ、グラウンドを去る前にひとつまみの土をユニフォームのポケットの中に入れたそうです。後日、大会審判副委員長の長浜俊三氏から、『君のポケットのなかに大切なものがある。』という手紙が届き、福嶋さんは初めて土の存在に気付きました。その土は家のゴムの木の鉢植えに混ぜ込んだそうです。」というものよ。
ジタバタ氏 ひとつまみねえ…何か他にはないの?
オロオロさん 「人力検索はてな」によると、最初の人はあの巨人元監督で現役の頃「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治氏が最初だって。「1937年の夏、決勝で敗れた熊本工業の川上投手は、甲子園の土を持ち帰り、母校のグラウンドに撒いたのが最初」って出てるわ。
この話の続きでさっきの福嶋氏の話も出てくるわ。福嶋氏は小倉北高の投手ですって。
ジタバタ氏 ふ〜む、すると戦前説では川上哲治氏、戦後説では福嶋一雄氏ってわけか。まあ、どっちも本当の話だろうね。ただ、それがどうしてみんなに広まったのかな?
オロオロさん Yhoo知恵袋の別項目によると、ちょっと長いけど我慢してね。「川上哲治氏の長男が甲子園の土を持ち帰ったのは父が最初ではありません、と言っているので、誰が一番最初かは不明。ただ甲子園の土を持ち帰る習慣が根付いたのは1958年(昭和33年)の夏の大会で沖縄の高校として初めて出場した首里高がきっかけ。首里高の選手が『甲子園の土を踏んだ証に』と土を沖縄に持ち帰ろうとしたところ、当時はアメリカ領だった沖縄には甲子園の土を持ち込むことが許されておらず、海に捨てられてしまいました。そのことを不憫に思った日本航空のスチュワーデス(キャビン・アテンダント)さんが代わりに法律で禁止されていなかった甲子園の石を首里高に贈りました。このエピソードが新聞で大々的に取り上げられ、それ以降甲子園に出場した選手が土を持ち帰るようになりました。」というんだけど。
ジタバタ氏 なるほど、そんなことがあったんだな。
あたふた君 ♪小倉生まれで 玄海育ち 波も荒いが 気も荒い
ジタバタ氏 おまえはもう限界で、キモイよ。
あたふた君 ♪シュ〜リー 首里ベイビー シュ〜リー
ジタバタ氏 そりゃフォーシーズンスの「シェリー」だ。
あたふた君 ♪金毘羅ふねふね 追風に帆かけて しゅりしゅっしゅっしゅ
ジタバタ氏 もういいよ!
あたふた君 おヨビでない?
ジタバタ氏 おヨビでなさすぎるよ!
オロオロさん いずれにしろ、甲子園の土は球児にとって出場した証しで大事なもの。信仰にも近いものがあるんじゃないかと思います。


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